soukyoku-kankaiのブログ

 職場のパワハラに2年間耐え離職後、大うつエピソードで精神科受診。”双極性Ⅱ型”の診断を受け、半年間の自宅療養を経て復職したのが、二年前。軽躁→うつを繰り返し、7回の転職の末、うつ状態のため休職中。完解にむけて、じっくり取り組みたい^-^

感受性

”ノーチラスな人々”という本を読んでいる。


NPO法人ノーチラス会(双極性障害の当事者と家族の会)


の代表の鈴木映二さんの編集だ。


ノーチラスな人びと
ノーチラスな人びと
日本評論社


まだ、途中だけど・・・。


医療編を読み終わって、今まで読んだ本を踏まえてもなかなか参考になる本。


どっかに・・・”感受性の問題”みたいに書かれていた。


小学生の頃、通知簿に”感受性が強すぎる”と書かれていたことがあって、


それは・・・。ずっと、自分でも感じていた。


たとえば、死にそうなすずめを息子が拾ってきた時。えさをあげたかいもなく


死にそうになってた日。


息子の授業参観だったけど、すずめを手の平にのせたまま動けず。


息を引き取ったのに号泣しながら、参観の最後の方にかけつけた。


母には、息子の参観とすずめとどっちが大切?みたいに言われ、


息子は自分が拾ってきたにも関わらず・・・って感じだった。


感受性が強いのは美点だと小さい頃は思っていたが。


社会人になるにつれ、欠点となっていった。


昔は、感受性が強いとか、深く物事を考えるという事が、人生を濃く深くしてくれるもの


だと思っていたが、追い求めれば、追い求めるほど、人生の意味は遠く・・・


普通の幸せは手にしたと思う間もなく、こぼれおちていく。


どれだけ、禅とか瞑想とかにはまっても・・・”平常心”は保てない。


芸術的に”爆発”しようとしても、まずは才能がない。


芸術を鑑賞する感受性はあっても、何かに熱中”し続ける”ことができない。


鈍感な方が、世の中は渡りやすい。


何があっても、鈍感だからだ・・・。羨ましくても、なれない。